「飽きる」を考える

ここ数年で微妙に周囲の人とのズレを感じ、悩んでる事があります。
自分はかなり飽きっぽい質なんじゃないかと。


例えば音楽の場合。
自分は元の曲を知っている場合、アレンジ曲が元の曲より良いと感じることは極めて稀です。理屈とか抜きに、脳がアレンジ曲を劣化作品だと断じてしまいます。
しかし、逆に、アレンジ曲を先に聞いて後に元の曲聞いたケースも少しあり、この場合、アレンジ曲の方がいいと感じました。脳は元曲を劣化作品だと断じました。
これらのいくつかの経験で得られた結論は、アレンジかそうじゃないかは問題ではなく、似てる曲の場合、先に聞いた方は無条件で非常に大きなアドバンテージを得るんじゃないかということです。
そして、たぶんその原因は「飽き」なんだと思います。


弾幕 STG の場合。(ここでは避け主体の STG という想定)
自分は未だに無印怒首領蜂が最も長く遊んだ、最も面白いと感じた弾幕 STG なんだけど、自分の場合初めて遊んだ弾幕 STG がこれだったので、それによるアドバンテージが大きかったんだろうと今では感じています。
最近の作品の方が洗練されてるし、「飽き」という要素がなければ、おそらく最近の作品の方が面白いと感じるんだと思います。
最初に遊んだ弾幕 STG怒首領蜂大復活だったなら怒首領蜂大復活が、東方シリーズなら東方シリーズが、今の自分の中の怒首領蜂の地位に君臨していた可能性は大きいと思います。


自分の問題は飽きっぽいこと自体ではなく、同じようなものと認識する幅 (=脳が劣化作品だと断じてしまう攻撃範囲) が広すぎるせいなのかもしれません。または、無意識に他の何かと比べてしまうこと自体が問題なのかもしれません。
ともかく、講演で話したことは誇張ではなく、自分にはゲームを遊ぶたびに急速にゲームが輝きを失っていくのを感じます。マリオ 3 でちくわブロックの上でぴょんぴょんしてるような危機感を感じます。

この危機感が、今回講演でこういう話をした要因でもあったのですが、この感覚が分からない方には自分は滑稽にすら見えるらしく、この差は面白いけどちょっと怖いな、という感じです。